母親と言う概念

 今更だけど、米山豪憲くんの冥福を祈ります。


 大人の欲望の犠牲に、小さい子供がなっちゃいけないと思う。まだ解決したわけじゃないけど、本当に、痛ましい事件だと思う。


 母親、と言う概念に僕は多大な憧れを持っている。
 それは、子供を守る強さであり、子供に執着する弱さだ。子供と大切なものを天秤に掛けて揺れ動くのは親の特権であり、僕はどう転んでも母親になれないので、無い物ねだりに憧れがある。


 でも、自分の子供でなく他者(しかも弱者)を犠牲にした畠山容疑者は理由がどうあれ許せるものじゃない。
 もしもそこに彼女が言うように「自分の子供の犠牲への道連れ」的な意識があったとしても、「子供のため」と言う執着があったとしても、無関係な他者を犠牲にするのは僕のそれとは違う。


 オタク文化にしてもそうだけど、他者に迷惑を掛けてはいけない、全てにおいて共通する摂理だ。それは何よりも優先される。


 僕は男だから、女性の気持ちは分かった気になれても、理解できるとは思っていない。
 だから、「子供のためになら何でもする」母親の気持ちは、判らない。
 以前、似たようなことを言われたし、それから日月が経過してもやっぱり女性の気持ちが分かったわけではないけど、やっぱり今でも、それが他者よりも優先されることだとは思えない。

 
 豪憲くんのご冥福を祈ります。
 こんな痛ましい事件がもう二度と、起きませんように。